カンボジア訪問記


カンボジア訪問記        薫風会副会長 安部 順是
 

 カンボジア王国Kingdom of Cambodiaは、東西560km、南北440km、総面積は18万1035k㎡なので日本の半分程の国土だ。アジアの大河、メコン川はカンボジア領内を486km縦断している。トンレサップ湖はカンボジアの最大の湖であり、淡水魚の宝庫でもある。カンボジアは熱帯モンスーン気候で、雨期(6~10月)と乾期(11~5月)に分けられる。8月に訪ねた時は雨期であるが、気候は日本の夏と同じ、雨期と言っても夕方にスコールが1時間程ある位で、その点は日本の梅雨とは違う。年間平均気温は27℃。4月は29℃にもなる。12~1月は涼しく平均16℃。カンボジアには、クメール人、華人、ベトナム人、チャム族、山岳少数民族が暮らす。総人口1520万人の9割がクメール人だ。公用語はクメール語、ホテルでは英語も通じる。首都はプノンペンPhnom Penh、人口は169万人、クメール人の大半が仏教徒(上座部仏教)。イスラム教、カトリック信者も少数いる。通貨はリエルRiel、1ドル≒4050リエル。100リエル≒2.5円。カンボジアではUSドルも使える。硬貨も有るが流通していない。古い汚れた紙幣は使えないので受け取ってはいけない。1991年まで内戦が有ったが、現在の治安は良い。車も走っているが、一般の交通手段は50ccバイク、HONDAのバイクをよく見かけた。右側通行。バイクは2人~3人乗りで走っている。49cc以上のバイクは免許が必要だが、免許を持たず運転している人も多いらしい。シェムリアップには信号が5カ所。その内の2カ所は日本人が設置したそうだ。信号機の横に待ち時間を示す点滅型のカウント数字が付いている。
 カンボジアへはベトナム航空を使った。ベトナム・ハノイ国際空港で乗り換え、カンボジア・シェムリアップ国際空港に到着。所用時間は6時間ほど。乗り換えの待ち時間や搭乗手続きを入れると片道9時間程の旅になる。日本からシェムリアップへの直行便は無い。日本との時差は2時間遅れ。日本の正午はカンボジアでは午前10時となる。

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8月5日 曇り・小雨 初日は33℃ 以後は29℃~32℃
 2014年8月5日 10時20分に福岡国際空港を出発し、シェムリアップに16時10分着。(日本時間では18時10分)入国審査を受け街へ。空港出口でカンボジア人ガイドのチャンヤさんの出迎えを受ける。日本語は堪能で「私の名前はチャンヤです。逆から読むとヤンチャになります。よろしく」とジョークを交えて笑いながら説明を受ける。シェムリアップ国際空港から20分ほどでシェムリアップSIEMREAPの街に到着。初日の宿はROYAL CROWN HOTEL、19時からホテルのレストランで夕食。パンプキンスープ、トゥレイ・ロッ・ポンポォンという淡水魚を揚げた魚料理と肉料理をメインに、野菜炒め、サラダ、ご飯、フルーツの盛り合わせと飲み物。旅の疲れか、大皿に盛られた料理が半分以上残った。担当のボーイが心配して「オイシカッタデスカ」と声を掛けてくれた。日本人観光客も多いのだろう。クメール語(カンボジア語)で「オークン」(ありがとう)と胸の前で手を合わせて返答する。「Nice to meet you」「Hello」とホテルの中ではボーイが声を掛けてくれる。街で買い物をした時に「まいど」「おおきに」と言われた時は一瞬、何を言っているのか分からなかった。日本人と分かると「1ドル、1ドル」と良く声が掛かる。参考までに、空港やショッピングセンターのミネラルウォーターは1 US$、町のスーパーでは0,3~0,5 US$、トゥクトゥク(市販のバイクの後ろに4~6人用の座席を取り付けた乗り物。地元では「ルーモー」と呼ぶ)は交渉次第だが近場で2 US$、タクシーは1日8時間で25~40 US$、ゲストハウス1泊5~20US$、中級ホテル1泊50~200 US$、観光ガイドは1日40~60US$である。
 

 8月6日 曇・晴れ 7時朝食。レストランでバイキング。
アジア人材養成研究センターにて、遺跡の保存修復について学ぶ。石澤良昭先生のお話を伺う。(以下はその内容をまとめたもの)
アンコール・ワットの学問や研究成果を普通の言葉で語り、みなさまに分かっていただきたいと願ってきました。また、その成果は現地カンボジアへ還元されていくべきものと考える。日本人から見ると、貧しいのになぜ元気なのか。経済的には貧困ですが、村人は低い消費で高い満足を感じています。物質主義でない合理的な日常生活を送っています。
 日本では自殺者が年間3万人を超えます。本当の豊かさについて共に考えましょう。アジアの隣人のところに行き「仲間」となって一緒に奉仕活動を実践しています。カンボジアでは1970年から24年間にわたり内戦が続き、虐殺が150万人以上におよび、人々はすべてを失い、誰もがゼロからの再出発でした。ソフィア・ミッションは困っている人を見捨てない活動です。私たちは内戦中の1980年からカンボジアへ出かけ、現地において人材養成活動を実践し、カンボジアのみなさんが勇気と希望を取り戻すお手伝いをしております。特別に「カンボジア人による、カンボジアのための、アンコール・ワット修復」を掲げ活動してきました。アンコール・ワットはカンボジア民族の心の支えであると同時に自信を取り戻すエネルギー源でもあります。1961年、今から53年前、石澤先生が若き日にアンコール遺跡から受けた衝撃は相当に大きかったのだとお話を伺いながら感じた。

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1つ目の遺跡見学場所、プノン・バケンPhnom Bakhengへ向かう。プノン・バケンは9世紀末ヤショーヴァルマン一世が建造したヒンドゥー教寺院だ。造形的にはインドネシア・ジャワ島のボロブドゥール遺跡と類似している。標高差60メートルの小高い丘を30分ほどかけて登ると360度のパノラマで緑に覆われた向こうにアンコール・ワットや西バライ、シェムリアップ国際空港などアンコール地域の全体像を見渡すことができる。
 遺跡見学後、宿泊先のリフレクションセンターMETTA KARUNA REFLECTION CENTREへ向かう。昨日のホテルと違い研修センターらしく質素だ。蚊帳ベッドに机、トイレと水シャワー、小さな洗面ボウルだけ。ものが溢れる日本では、こんなシンプルな生活は中々出来ない。当然 冷房機器は無いが自然の風がとても心地良い。敷地の中心部に有る食堂で昼食を頂く。メニューは、ご飯とヤシ砂糖と魚醤、レモングラスの葉やタマリンドの実を使い味付けする甘すっぱい淡水魚料理。キュウリや熟す前のパパイヤ、マンゴーを入れて煮込んだスープ。ご飯にこのスープをかけて食べる。香草の香りがする。慣れないと食べにくいが、結構旨い。果物はバナナ、マンゴー、ライチなど。洗い場で自分の食器を洗う。料理は用意して頂けるが、食器などを片づけるのはセルフサービスだ。どこの研修センターも同じスタイルだが、料理の内容や味付けは当然全て違う。食後ちょっと一休み。これがカンボジアスタイルだ。

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午後からアンコール・ワットAngkor Watへ。アンコールはサンスクリット語で「町・都城」ワットは「寺院」を表す。遺跡寺院群のなかでも最大級。カンボジアと言えば多くの人が思い浮かべる遺跡である。12世紀初頭にスールヤヴァルマン二世によって建造されたヒンドゥー教の寺院。14世紀には仏教寺院となる。南北1300m、東西1500mの堀に囲まれた敷地内にある。プノンペンやシェムリアップには年間136万人が観光で訪れる。遺跡の入場料金は1日20 US$。
 入場収入が遺跡の保存、修復の材料費や人件費に使われる。遺跡の入口には、チケットを確認する人が必ずいて厳重にチェックされる。日本人だと分かると笑顔と共に「おおきに」と言われる。さまざまな国際貢献事業の影響も有り日本人には好意的だ。全長約600mの西参道を通り中央神殿へと向かう。クメール建築では、神のための宮殿は耐久性のある砂岩やレンガで王の宮殿は木造で造られた。砂岩を積み上げて造る石造建築の制約から大きな空間は造りにくい。そのために大きな空間を造るためにはユニット工法が採用された。
 神殿も部分的にレンガや木材も使い建造されたが自然風化で残ってはいない。第1回廊、第2回廊、第3回廊を通り中央祠堂へ。尖塔の高さは地上65m。中央祠堂は世界の中心・神々が住む須弥山を表している。ヒンドゥー教三大神の中のヴィシュヌ神に捧げられた寺院であり、スールヤヴァルマン二世を埋葬した墳墓でもある。死後に王と神が一体化するデーヴァ・ラジャ(新王)思想に基づくものだ。スールヤヴァルマン二世は、ここで様々な儀式を盛大に行った。アンコール・ワットは建築当初、砂岩の表面は朱色に塗られ、第1回廊の浮き彫りには金箔が施されていた。一部にその面影が残っている。ヒンドゥー教の寺院として建造されたが、その後、仏教寺院となり様々な仏像も設置された。内戦や宗教弾圧で多くの彫像は破壊された。1863年から90年間はフランス領となり、1920年フランス政府によりヒンドゥー教寺院に戻す活動として、ほとんどの仏像が移設された。現在は数体の神像や仏像を残すのみである。神殿の壁や柱はレリーフで覆われている。それぞれの回廊の壁にはインド古代の叙事詩「マハーバーラタ」「ラーマーヤナ」や、天地創生神話で知られる「乳海攪拌」、スールヤヴァルマン二世の行軍、天国と地獄、ヴィシュヌ神と阿修羅の戦い、アムリタを巡る神々の戦いなどが彫刻されている。スールヤヴァルマン二世の神殿にかける熱い思いが伝わる。アンコール遺跡は9~15世紀に繁栄したクメール人の王朝だ。カンボジアには2300カ所の遺跡が有るという。建造後600~1200年経過した遺跡は、風雨による浸食や植物の根による繁茂、紛争、地盤沈下などによって深刻な状況となっている。土を盛って、その上に石を積み上げる工法が多くの遺跡で採用されたので、隙間ができると雨水が流れ込み地盤が浸食、膨張されて石積みが崩壊して行く。一度解体して積み直すしかなく、膨大な費用と時間を要する。どの遺跡も修復が間に合っていない。

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夕食はバイキング。カンボジア料理を食べながらアプサラ・ダンスを鑑賞する。アプサラは「天女・天使」で、アンコール・ワットの壁面レリーフから出て神への祈りのために踊る。アプサラは神と人との仲介者だ。ゆっくりした時間が流れる。3~5人の衣装を着た女性の踊り子が音楽に合わせて優雅に踊る宮廷舞踊で、クメールの古典舞踊として保護されている。シェムリアップではアプサラ・ダンス教室もあるようで、ステージを目指し子供たちが学ぶ。余りにもゆっくりした踊りと音楽は遺跡巡りで疲れた身体には睡魔との戦いとなった。
 

 8月7日 晴れ 6時30分朝食。インスタントラーメンとフランスパン、果物。インスタントラーメンは日本のチキンラーメンと同じ。朝からラーメン生活は数十年振り、結構旨い。果物は南国らしく様々なフルーツが出てくる。ランブータンは真っ赤な皮の下から白い果実があらわれる。ドラゴンフルーツは大きなキウイのようだ。見た目は良くないがリュウガンは甘くて果汁もたっぷりで美味。マンゴー、パパイヤ、パイナップル、スイカ、バナナも定番。果物は食べ放題だ。

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7時30分リフレクションセンター出発。ワット・チョー中学校訪問。日本の大学が主催したSTPプログラムを見学する。50名ほどのサークル活動で、サマースクーリングと呼ばれている。学生はアジア各地へ出かけているらしい。希望制で旅費等は自己負担。サークル活動なのでSTPプログラムは学科単位にはならない。ワット・チョー中学校は夏休みなので、プログラムを受けている生徒は希望者。午前中の14日間行われる。今日は7日目の活動で生徒約80名が3グループに分かれ活動を行う。訪問した日は、Apple Class, Mango Class, Banana Classに分かれて30分×3コマの活動を行っていた。内容はWater Rocket, Magic & Soap Bubble, Air Pomp & Paper planes トランプゲームや空気砲、紙飛行機、シャボン玉ゲーム、ピタゴラス体操など、てんこ盛りだ。楽しく遊びながら語学や科学、物理、コミュニケーション学、体育を学ぶ。教室中に大歓声があがる。良く準備された授業だ。最終日は、手作りカレーパーテイでお別れするそうだ。学生も生徒も涙、涙のお別れ会になるらしい。学ぶことの楽しさ、国を超えコミュニケーションすることの素晴らしさに溢れている。若き学生たちがこれからの日本をつくる。日本の若者も世界で通用するコミュニケーション力と生きる力、グローバルコンピテンシーを持っている。その後のミーティングで「サマースクールで日本の学生と出会い、学びの素晴らしさに気付き、将来、科学や物理、医学、語学を志す学生が出てくればこのプロジェクトは大成功です」と主催者が話されておられた。「学びは人々を幸せにする」まさに、その実践である。教師として深い気付きと感動を頂いたことを感謝したい。
 夕方16時、オールドマーケットに行く。食料品から衣料、日用雑貨、アクセサリー、お菓子、お土産店が密集している。市場の中央部には生鮮食品や果物、加工食品売り場が集中している。強烈な発酵食品の匂いがする。プラホックという発酵調味料、魚醤(トゥック・トレイ)の匂いだ。初めは嫌な臭いに感じたが、日本にも「くさや・魚醤」がある。「くさや液」は、魚の干物を浸すための発酵液で、古いものほど旨味が出るとされる。中には200年も300年も続くものもあると聞く。このマーケットでカンボジアのお土産はだいたい揃う。市場名物の値切り交渉も楽しめる。市場から横に抜けた通りはおしゃれな店舗が並ぶ。歩道の至る所にFruit Drinkの店がある。トゥック・プラエ・チュー(フルーツ生ジュース)、パパイヤ、パイナップル、リンゴなど。一番のお勧めがトゥック・プラエ・チュー・マンゴー、店によって作り方が違うが、どの店も美味しい。観光ガイドBookには氷を使ったジュースも気をつけるよう警告されているが、海外からの観光客が多いこの通りは、氷もミネラルウォーターを使っているので安心だ。1杯1~2US$。たくさんのマッサージ店もあった。遺跡巡りで疲れた足には、フットマッサージがお勧めだ。オイルを付けてしっかりマッサージしてくれるので、足が軽くなり、マッサージ後は数時間歩ける気がする。店員の明るい笑顔がとても嬉しい。30分3US$。18時リフレクションセンターへ戻り19時から夕食。

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 「19時30分から特別ミサをするので参加してください」とシスターからお知らせがあり、ミサに与かる。今日は「ポル・ポト政権に対して判決が下りた」記念すべき日と説明された。カンボジアは苦難の歴史を歩んで現在に至っている。
 フランス植民地時代(1863~1953年)フランスは、王朝、王権、仏教といったカンボジア固有の「伝統」を温存したが、社会経済開発や教育制度は進めなかった。中国人移民やベトナム人を労働者として受け入れたため、クメール人の民族意識や向上意識は育つことはなかった。第2次世界大戦後、フランスからの独立を目指して、シアヌーク国王体制が誕生するが、その道のりは険しいものであった。1953年11月に国際世論に訴え、フランスからの完全独立を果たす。シアヌーク国王は非同盟中立外交を推進、国家体制の柱としてカンボジアの伝統である王制と仏教を護持しつつ、計画経済政策を導入した。1960年代後半、経済政策が失敗。1970年ロン・ノル将軍のクーデターにより失脚する。政治は混乱し、内戦が激化する。1975年4月、内戦終了後、政権を握ったのが民主カンプチア政府(ポル・ポト政権)である。急進的な共産主義政策を断行したため、国内は再び大混乱となる。プノンペンの都市機能を破壊し、市場や労農、通貨、学校教育を廃止し、宗教活動も禁止した。従来の伝統的価値観や社会システムは破壊された。多数の仏教寺院やモスクを破壊、僧侶やイスラム教徒を大量虐殺した。社会、行政、経済、教育、宗教指導者が処刑され、都市機能のみならず、クメール人としての尊厳は大きく損なわれた。1978年ベトナム軍の侵攻や二重政権下での内戦が続き、カンボジアの国力は益々低下して行く。1991年のパリ会議「カンボジア和平協定」の締結はカンボジアの未来にとって大きな出来事となる。1993年9月シアヌーク国王を国家元首とする新生「カンボジア王国」が誕生する。
 カンボジアにとって記念すべき日に、8カ国の人々と共に祈りを捧げたミサは、感動的な出来事となった。グローバルな出会いと深い祈りの時間を過ごすことができた。

 
 
 8月8日 晴れ 7時朝食。8時30分バンテアイ・クディ遺跡見学。
バンテアイ・クディBanteay Kdei 12世紀末にジャヤヴァルマン七世により造営された仏教寺院。バンテアイ・クディが造営される前はクティと呼ばれる僧院があったと考えられている。クメール建築では頻繁に増改築を行ったので、造営当時の姿を把握することは難しい。沢山の仏像が奉納されていたが、建寺王と言われたジャヤヴァルマン七世の没後、ジャヤヴァルマン八世は、ヒンドゥー教のシヴァ神を篤信した。この王の統治下において反仏教運動がおこり、その時に壊された石像をアンコールの民たちはバンテアイ・クディ内に丁寧に埋納して塚を築いた。2001年に日本の研究チームが274点の彫像やその破片を発掘した。その中の101点をプリア・ノロドム・シハヌークアンコール博物館で展示公開している。歴史に忠実に頭部や腕部が破壊されたそのままに展示されている。800年の深い眠りから蘇る手助けをしたのが日本の研究チームだと言うことは驚くべきことである。2007年11月、シハモニ国王も臨席し、博物館完成記念式典を行う。この博物館の別名はイオン博物館と言う。研究チームが発掘調査の為、倉庫に一時保管していた彫像をイオンの会長が視察後、博物館の建設を提案し、落成後にカンボジア政府に寄贈した。日本人なら是非見ておきたい国際交流博物館だ。入館料は3US$。
 10時 バンテアイ・クディの清掃をしている人が住むロハール村を訪問する。
村では農業の合間にお土産用として木工品を作り生活している。家により作るものが違う。現地でベン材Benと呼ばれる材で作る。アフリカのブビンガ材にそっくりだ。おそらく同じものだろう。丸のこくらいしか電気工具は無かった。手作業で最後まで仕上げる。小型の荷馬車を作っている家庭もあった。木工技術はとても高い。村の中では、ゆっくりとした優しい時間が流れる。家の横で牛や鶏を飼っている。牛は農耕用だ。村人はお互いに助け合いながら親戚のような付き合いを代々してきている。観光では村には立ち入れないが、今回は家の中まで見せていただく。半分の家屋が木造高床住居で、残りの半分が煉瓦や木の住居である。(街に行けば鉄筋コンクリートの住宅もある)高床住居は数日で造れるらしい。熱帯モンスーンの高温多湿な土地では高床住居は快適なのだ。低い消費で物質主義でない合理的な生活を送っている。
 12時 リフレクションセンターにて昼食。
 14時30分 スバエク・トムの鑑賞とワークショップSbaek Thom Workshop に参加。
 カンボジアで大衆芸能として人気があるのが、スバエク(影絵芝居)である。スバエクは「牛の皮」でトムは「大きい」と言う意味。影絵の人形を1枚の大きな皮でつくることからそう呼ばれている。1体の大きさが1m~1,5mほどもある。この大きな人形を50体から100体使い物語を演じるのだ。内戦のために1970年頃から長く伝承が途切れていたが、サラ・コンサエン村のティー・チアン(1926-2000)を座長として復活した。現在は、座長の孫のチエン・ソバーンが一座を率いる。スバエク・トムの老舗一座だ。アンコール遺跡のあるシェムリアップ地方で祝い事や稲の収穫後に寺院の境内で上演されていた。現在はそのような習慣は無くなり観光客の要請に合わせて上演される。上演の前に必ず「ソンペア・クルー(師に敬意を表す)」と言う儀式を行う。バナナの葉と幹で作った「バンサイ」と呼ばれる供物を用意し、スクリーンの前にヴィシュヌ神とシヴァ神、真ん中に芸能の師を表す聖仙の人形を置き、音楽を奏で神々と師に捧げる。演者たちは上演に向けて集中力を高める。太鼓、鐘、木琴、縦笛の音が力強く、リズミカルに流れる中、影絵の上演が始まる。影絵を操る人が7人、楽器演奏者が6名、語り部(座長が担当)が1人。大きな影絵人形を両手に持って踊りながら、古代インドの神話「ラーマーヤナ」の物語を演じる。スクリーンの後ろから前に回り演じる姿は舞踊のようだ。スバエク・トムは現在、カンボジアの無形文化財に認定され伝統芸能として保護されている。「リアムケー」と言う物語のエピソードを7晩かけて演じるのが本当の演じ方だが、観光客向けには1時間~1時間30分に短縮したかたちで上演をおこなっている。
スバエク・トムの伝統衣装でワークショップに参加させてもらった。観るのと演じるのとは全く違い、大変な肉体パホーマンスで優雅に踊っていたように見えて中々の重労働だ。 
 スバエクの人形をお土産に買う。15センチ四方の象の影絵は10US$。牛の皮に細かい透かし模様を沢山のポンチを駆使して彫り込む。一座のメンバーやその子供たちが精巧に作っている。小さいが制作に2日はかかると言う。
 長い間トタン屋根の下で上演していたが、2014年1月に日本の「KDDIグループ」の援助で新しいホールが完成した。

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 8月9日 晴れ 7時朝食。9時出発。ゴミ山に行く。
 1つ目のゴミ山は6年前にゴミ搬入が終わり草の山となっていた。有機物は分解するが、ビニールやガラスはそのまま残っていた。異臭はしない。我々が見学に訪れると近所の子供たちが集まって来た。割れたガラス片も残っているが子供たちは裸足でゴミ山を歩いている。小さな歩道の向こう側では稲作が何も無かったように行われていた。土壌汚染はかなり有るはずだが、大丈夫だろうか。
 2つ目のゴミ山に向かう。こちらは現在ゴミ捨て場として運用されている。日本のように分別制度が無いので焼却や埋めるのでは無く、大型のトラックで持ち込み捨てるだけだ。ゴミの山が次々に出来てゆく。ゴミ捨て場は公営ではなく、企業が土地を買いゴミ捨て場としている。広大な敷地はどこもゴミで覆われていた。強烈な異臭がする。メタンガスが発生し燃えている所も有ったが、雨期なので消火はしないそうだ。ゴミ山の責任者と交渉し、見学料10 US$を支払う。写真の撮影も許可される。近所の子供たちや大人もゴミ捨て場で働いていた。透明のビニールは1㎏200 Riel、日本円で約5円。色つきのビニールは1㎏100 Riel、日本円で約2,5円。集めたゴミは自分の収入となる。地主企業はマージンを取らない。近所に住む人々は農業で生活をしながら現金収入の為にここで有価ゴミを回収する。大型トラックがゴミを降ろすと、10人程の大人や子供が集まり有価ゴミを回収する。ペットボトルや空き缶を回収しているようだ。アルミ缶が一番の現金収入となる。ガラス瓶はお金にならない。日本も高度成長期に同じ光景が見られた。

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11時30分リフレクションセンターへ戻り12時から昼食。

 14時30分出発 アンコール・トムへ。
 アンコール・トムAngkor Thom は、アンコール王朝最後の栄華を誇った都市だ。12~13世紀にかけてジャヤヴァルマン七世が創建した。アンコールは「町・都城」トムは「広い・大きい」と言う意味。総延長12㎞におよぶ城壁に囲まれた仏教都市である。アンコール・ワットの4倍の規模を誇る。バイヨンBayon南大門の道の両脇には、神々と阿修羅がナーガの胴体を引き合う像(54体ずつ計108体)が出迎える。中央祠堂に向かう途中にバープオンBaphuonと呼ばれている空中参道がある。池を挟んで続く空中参道は地上と天界を結ぶ虹の架け橋である。第1回廊と第2回廊を通り中央祠堂へ入る。回廊は東西160m、南北140mにおよぶ。トムはその昔、大きな樹木に覆われていた。周辺の樹木を伐採して遺跡は姿をあらわした。
 アンコール・ワットの回廊レリーフは神々の物語で構成されているが、こちらは日々の戦いや生活の様子を彫刻し伝えている。クメール軍や宴会の様子、商売や狩りをする人々、病人を看病する人、曲芸をする人、化粧をする女官、象の調教の様子など、生活臭に溢れている。建造時は屋根があったが、現在は落ちてしまい壁面だけが残る。彫刻には大乗仏教の仏陀による人々の救済という宇宙感が、具体的に示されている。バイヨンのどこにいても菩薩の暖かい眼差しを感じる。中央祠堂と尖塔の頂部には、塔の4面に彫られた四面仏がある。テラスに49塔(196面)の微妙に異なる表情の観世音菩薩(世界遺産)が迎えてくれる。
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 17時40分ROYAL CROWN HOTELチェックインする。
 19時~レストランで夕食 このホテルでの夕食は2回目だ。
 コンソメスープ、野菜サラダ、豚肉の炒め物、鶏の唐揚げ、ご飯、フルーツの盛り合わせ、飲み物。カンボジアスタイルや研修に慣れたのだろう。私も前回の夕食より随分美味しく感じた。明日で日本に帰れる安心感と久しぶりに温かいお風呂に入れたことも有るのかも知れない。このホテル自慢の手作りピザを食べた。注文を受けてから生地をのばし石窯で焼くそうだ。薄焼き生地にたっぷりチーズがのっていてかなり本格的。カンボジアでこんなに美味しいピザが食べられるとは思いもよらなかった。

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8月10日 晴れ 7時レストランでバイキング朝食。日本のホテルと変わらない。とても美味しい。9時出発。タ・プロームTa Prohm 遺跡へ。

ジャヤヴァルマン七世が1186年、母のために造った仏教僧院であったが、後にヒンドゥー教の寺院に改造された。東西1000m 、南北700mのサテライト壁に囲まれている。創建当時は僧院には5000人の僧侶と615人の踊り子が住んでいた。碑文には寺院内に3140の村があったと記されている。僧院建設には砂岩が主に使われている。住居部分にはサテライトやレンガ、木材も使われた。他の遺跡では保護のために樹木は伐採されたが、この遺跡では自然の驚異を伝えるために一部伐採せずに残した。三重の回廊のあちこちで、巨大な樹木が遺跡に絡みつく景観は圧巻である。スポアン(榕樹)の根は力強く、石と一体になっている。生きている大蛇のようだ。自然と石がコラボした芸術作品だ。四季がないカンボジアでは木に年輪が無い。樹木の大きさから樹齢250~300年と推定されている。遺跡は、戦争や風化、樹木の生命力で破壊が進む。タ・プローム遺跡も限界に来つつある。この遺跡の状態は、日本人や東洋人の心を打つようで、遺跡の中は移動も困難な位に混雑していた。ガジュマルを含むイチジク属は熱帯域を中心に世界で800種に及ぶ。日本では本州から南西諸島に16種ばかりが存在する。
 11時30分シェムリアップ市内のスーパーマーケット「ラッキーモール」にて昼食。マクドナルドのハンバーガーセットが4US$。現地の食事に慣れてしまったので、カンボジアのスープやサラダ、肉料理の方が美味しく感じる。
 12時30分ホテルに戻る。一休み。
トゥクトゥクに乗り街へ。料金は2 US$。風を切りながら走る、とても心地よい。シェムリアップには定時運行バスや電車は無い。人々はモト(バイクタクシー)かトゥクトゥク(バイクの後ろに4~6人の座席を作ったもの。客は向かえ合わせに座る)で移動する。市内至る所で走っている。シクローと呼ぶ人力自転車もある。プノンペン市内ではタクシーやバスも利用することが出来る。オールドマーケット横の通りに、かなり本格的なギャラリーがある。アンコール遺跡群の写真ギャラリーだ。写真の価格は1枚10US$~2000US$まで。 
 プロカメラマンのギャラリーだ。同じ遺跡でも、視点を変えればこんなにも違うのかとクオリティーの高さに驚かされる。街歩きをしながらトゥック・プラエ・チューを楽しむ。乾いた喉を潤してくれる。1杯1US$。
 16時30分ホテルへ戻り、シャワーを浴びて出発準備をする。20時25分発のベトナム、ハノイ行きに乗るためシェムリアップ国際空港に向かう。ハノイ空港で3時間20分待って、福岡行きに乗る。8月11日7時30分福岡国際空港着。
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あとがきに代えて
 
 シェムリアップ国際空港へ向かうバスの中で、観光ガイドのチャンヤさんが初めてご自分のことを話された。「カンボジアの内戦で2歳の時に父が亡くなりました。自分は父のことを覚えていません。とても貧しくてヘビやトカゲ、カエル、ネズミ、何でも食べました。皆さんは日本に生まれ、自分のしたいことをすることが出来ます。そのことだけで幸せです。カンボジアでは、現在でも約30%の人は学校に行くことができません。女性の約60%の人は読み書きができません。義務教育制度は無いので、農村部の多くの子供たちは農業や家の手伝いをして過ごしています。平均寿命は63歳です。健康保険は無いので貧しい人々は病院に行くことが出来ないから、病気になれば薬草を煎じ、村の祈祷師に治療を依頼するのです。私の友人は18人兄弟です。その内の7人は亡くなっています。日本に生まれたことを感謝し、今できることを頑張ってください」と話された。ご自分の悲しい過去をどのような気持ちで話されたのだろう。とても明るく、ジョークが好きな彼なら、違う話題やお別れの仕方も有ったのではなかろうか。
学校へは行かず、毎日ゴミ拾いをしている子供たちに明るい未来は有るのだろうか。幸福な人々は、皆一様に幸福であるが、病める人々の、その深さと不幸のかたちは、皆それぞれで底なしである。正しい教育を受ける機会が有れば、現在の生活から抜け出すことができるのではないか。ゴミを拾うこと以外で、自分の役割や価値を知ることが出来るのではなかろうか。何も出来ない私がそのようなことを考えることは、そもそも彼らに失礼なのかも知れない。日本に生まれ温かい愛情を注がれて育つことができた私は、地球人として何ができるのだろうか。
 カンボジアでは、思いがけない出会いの連続であった。芸術を愛するものとして世界遺産でもあるアンコール遺跡群を見学できたことは幸せであった。ヤショーヴァルマン一世、スールヤヴァルマン二世、ジャヤヴァルマン七世の神殿や寺院にかける熱い思いが1000年の時を超えて語りかけてきた。シアヌーク国王の国や人々を思う気持ちを感じ取ることもできた。日本の宮大工で法隆寺の五重塔を解体修復された西岡常一さん(1908-1995)は「伝統や技術は文献が無くとも仕事を残すことで次の世代に継承できるのです。我々は先人に学び、1000年後も通用する仕事を残せば良いのです。そのようにして伝統や技術は継承されて行くのです」と語られた。今回、カンボジアの遺跡群を見ることで改めてそのことを確認することが出来た。
 今回の旅で多くの出会いと気づきを頂いたことに心から感謝したい。アンコール遺跡群がカンボジア民族の希望の象徴として大切に守られて行くことを願う。